日向の縁側、眠る猫。

真夏の黒猫によるブログ。 ゲーム、漫画などを中心にしています。かなりディープな趣味の方向け。

黒猫少年の軌跡。


よく、○○年から○○年生まれの人間は

「ゲームの進化を目の当たりにしてきた世代。幸せなことだ」

というネットの話を見かけます。

勿論、黒猫も今想えばそうだと断言できます。










しかし当時のリアルタイムでは様相は変わってきます。
場合によっては所持ゲーム次第で人間関係にまで影響を及ぼす訳です。

つまり言い換えれば、

「凶悪なゲハ(=ゲームハード)戦争に巻き込まれた人生」

とも言えるとか言えないとか。






【時代背景】



①基本的にゲームは遊びの要素のなかの一つでしかなかった。

野球やる?ドッヂボールやる?ゲームやる?という感じ。



②当然、世の大人からすればゲームは

「子供がねだってくる高価なオモチャ」

程度の認識。


実際にゲームの総称を「ピコピコ」と言う親もいた。彼らにとってはファミコンだろうがゲームウォッチだろうがスーパーファミコンだろうが総て「ピコピコ」
全くピコピコいってなくても「ピコピコ」なのである。




③その高価なゲームを子供たちが入手するタイミングは誕生日、クリスマス、お年玉などのビッグイベントしか無い。
ハード購入にいたってはそれらを全て合わせるという離れ業に頼るという方法くらいしか手段がない。



④現代のように通信機器が発達していたわけではないので、ゲームソフトの情報は友達や本屋。
高価なソフト購入にはかなりのギャンブル性が伴う。

つまり、一度クソゲーを手にしてしまえば向こう3~4ヵ月、最悪半年以上はそのクソゲーと格闘することになる。
「たけしの挑戦状」に半年間挑戦状を叩きつけられ続けた猛者もいた。



⑤敵もさるもの、その状況を利用して次のソフトを入手しづらくする親も。

「まだそのゲーム終わってないでしょ!」

まさに無理ゲーである。

(ただし、親もゲームのエンディングなどについて多少知識が必要だったためレアケースといえばレアケース)



⑥学校などでは当然人気ソフトの所有者が話題のイニシアティブをとることになるが、現在のように、ゲームメーカーがハード間で多くの同じタイトルを提供するのはプレステやサターンの時代あたりからである。

つまり、所有するハードの選択を間違った時点でゲームの話題から取り残されるというバッドエンド直行ルートに突入する。

ファミコンやPS2などの誰でも分かる「覇権ハード」の時代はともかく、過渡期のハード選択は特に難しい。




と、これらの背景とうろ覚えの記憶を元に黒猫の数奇なゲハ戦争史について触れていきたいと思います。





【第1話】


「黒と白の葛藤」


まずはゲハ史の前に前菜的な話題。
そこから始めたいと思います。
(長くなったので前後編に分けます)


1986年5月21日

ファミリーコンピュータ、ドラゴンクエスト発売。



アクションゲーム全盛期に「RPG」というジャンルに切り込んだ、誰もが知っている国産RPGの原点。

今思えば黒歴史以外の何物でもありませんが黒猫はこの「ドラゴンクエスト」の大ファンでした。
ファンを通り越して信者といった方が正しいかもしれません。

ゲーム以外にも攻略本はもちろん、鉛筆やペンケース、「モンスター物語」「アイテム物語」などのサイドストーリー本。
とにかく身の回りのものがドラゴンクエスト一色でした。本当に痛い。痛すぎる。

今でもドラクエは好きですが、とにかく常軌を逸したハマり方でした。



1987年1月26日。

ドラゴンクエスト2発売。



僅か半年で発売された続編。
初のパーティプレイ、現在でも語り継がれる高い難易度。
(一説には子供たちの話題のためにこの難易度にしたのだとか)

この頃にはもうどっぷり。
とにかく暇があれば電源を入れ、ノートには大量の「ふっかつのじゅもん」。
友達と連絡をとりあい、紋章を探す毎日。

しかし翌年。

ドラクエ信者と化した黒猫に、友人からある情報がもたらされます。



1987年12月18日

ファイナルファンタジー発売。



のちに国産RPGのライバルシリーズとして凌ぎを削るシリーズ第1作が登場。

しかしながら当時は全盛期だった「週刊少年ジャンプ」に全面バックアップを受けている圧倒的ドラクエ時代。



※1988年当時の週刊少年ジャンプ連載中タイトル

ドラゴンボール
燃えるお兄さん
聖闘士星矢
シティーハンター
北斗の拳
魁男塾
ついでにとんちんかん
ジョジョの奇妙な冒険
キャプテン翼
こちら葛飾区亀有公園前派出所
山下たろーくん
ゆうれい小僧がやってきた
ゴッドサイダー
THE MOMOTAROH

当時は「読まないページはない」と言えるほどの強力ラインナップでした。

子どもたちにとってはどんな広告媒体よりもジャンプに載っている記事のほうが宣伝になります。


こんな中での船出だったFF 。
今も続くビッグタイトルの初作はそれほど注目を浴びていなかったと思います。



FFはFFで、「ドラゴンクエストとは違うRPG」の探求の旅を始めたところです。

そんな中。

「何かすっげえゲームが出たらしい」


ある日クラスの中でFF1を購入した子が早くもゲームをクリアし、その楽しさを口コミで伝えていたのでした。


実際にFFを見たのはその少し後。

RPGをまだ理解していない残念な黒猫はこう考えました。




「ドラクエのパクりじゃん」



FF1はシリーズ第1作にしてジョブの概念、上級職へのクラスチェンジ、レベル別魔法の概念など、どちらかといえばウィザードリィに近い本格的RPGでしかも当時としては画期的だったバッテリーバックアップも搭載。



これだけ詰め込まれた名作にも関わらず「パクりゲー」の烙印を押す黒猫。アホです。

「戦闘アニメも大したこと無いし、なんだよシーフって。泥棒じゃん、役にたたないじゃん」

寝癖丸出しのサマルトリアの王子のほうが中途半端で使えない気がしますが

※シーフはクラスチェンジで忍者に。最強剣マサムネを装備可能です。


まだまだFFも登場したばかり。
知名度もそこまで高くありません。

こんなパクりゲームにドラクエが負ける筈はない。
頼まれもしないのにエニックス社員のような満足をする黒猫。

更にドラクエ熱を急上昇させる出来事が。

1988年2月10日。
まさに伝説となったソフト

「ドラゴンクエスト3~そして伝説へ~」発売。




多数の職業、転職による能力の継承、そして何より「実はドラゴンクエスト3=ドラゴンクエスト0だった」という壮大なストーリー。

発売日にはゲームショップに人が押しかける社会現象に。



確か黒猫は発売日に間に合わず、1ヵ月遅れくらいで、しかも抱き合わせ販売で入手して悔しい思いをした覚えが。

当時はまだゲーム専門店が少なく、「おもちゃ屋」がゲームショップを兼ねていたため地域に入るゲームの数があまり無かった時代でしたね。




※抱き合わせ販売

超人気作とクソゲーをセットにし、単体での販売を断る在庫処理を目的とした鬼畜販売方法。現在では禁止されている。





社会現象さえ巻き起こしたドラクエ。

クリア後もレベル上げを続ける黒猫にまた一報が。



1988年12月17日。

ファイナルファンタジー2発売。




ここから、学校内での強力な地殻変動が起こり始めます。

(続く)

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  1. 2018/02/01(木) 19:29:13|
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